華頂博一プロフィール
名前:華頂博一(旧華頂宮を自称 )
別名:岡崎華頂、岡崎祐一
出身地:長崎県佐世保
住所:神奈川県横浜市(一般社団法人厩戸ノ華頂)
職業:歴史研究家、YouTuber
自身を「旧皇族 華頂宮当主」であるとし、「高祖父・伏見貞愛、曾祖父・伏見博恭、祖父・華頂博信、父・博祐」、あるいは、岡崎祐一名義のFacebookでは「高祖父伏貞愛、曽祖父伏見博恭、 祖父岡崎秀夫、父岡崎博祐」と自称している。
華族令による華族全1011家の系図を載せた『平成新修旧華族家系大成』などには、博一本人と父とされる博祐の名前は確認できない。(※上記を参照)
加えて、博一は伏見博明が代表を務める健全環境株式会社、日本文化振興会などの副代表を務めていると自称しているが、登記簿謄本ではその事実は確認できない。
2024年8月の講演会プロフィールでは、「伏見宮出身、元皇族(のちに華族)華頂博信王に生後72日で育てられる。」と記載している。
華頂宮家について
神奈川県鎌倉市に旧華頂宮がある。鎌倉市HPでは華頂宮について以下の説明がありますが、ここでも、博一本人と父とされる博祐の名前は確認できない。
伏見宮邦家親王第12王子博經(ひろつね)親王を始祖とし、伏見宮家のいわゆる分家にあたります。博經親王は、嘉永5年(1852年)知恩院門跡となり、万延元年(1860年)得度(出家)しましたが、明治元年(1868年)勅命により復飾(俗世間に戻ること)して一家を創し、知恩院の山号「華頂山」にちなんで華頂宮の称を賜りました。
博經親王が薨去(こうきょ/皇族・三位(さんみ)以上の人が死亡すること。)した後は、その第1男子、博厚(ひろあつ)親王がご相続しましたが、明治16年8歳にて薨去されました。このため、伏見宮家から博恭(ひろやす)王(親王の宣下のない皇族の男子、諸王に列せられた。)が3代目を継承しましたが、明治37年(1904年)に伏見宮へ復帰し、その第2男子博忠(ひろただ)王が4代目となりました。
大正13年、博忠王薨去後は断絶していましたが、大正15年、博恭王第3男子、博信(ひろのぶ)王が臣籍(明治憲法下、皇族以外の臣民たる身分)に下って華頂の姓を賜り、侯爵を授けられ、当宮の祭祀(神や祖先を祭ること。)を継ぐことになりました。
引用元:鎌倉市HP
華頂博一の活動 一覧
講演会を全国各地で行っている。金額は1000円~6500円?
2024年8月現在で予定されているのは、
2024年8月25日(日)北海道札幌市 5,500円(税込)
2024年9月15日 (日)愛知県名古屋市 5,500円(税込)
関連youtuber
①皇族関連
「未来の天皇陛下は俺だ!」「愛子と結婚する!」発言を繰り返す低脳底辺霊能力者こうのすけ
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